スタッフブログ

トップページスタッフBlog学芸員の部屋 > NO.0021 連載「民藝」をめぐる4人の陶芸家たち
スタッフBlog
学芸員の部屋

NO.0021

連載「民藝」をめぐる4人の陶芸家たち

~バーナード・リーチ①~

公開日 2019.9.14


 御殿山生涯学習美術センターでは1Fロビーの立体展示ケースで、枚方市が所蔵する陶芸作品を展示しています。

 今年度は、近代から現代にかけて活躍した4人の陶芸家、バーナード・リーチ(1887-1979)[展示期間5月28~7月29日(展示終了)]、濱田庄司(1894-1978)[展示期間7月30日~9月30日(展示中)]、河合寛次郎(1890-1966)[展示期間10月1~12月2日(予定)]、富本憲吉(1886-1963)[展示期間12月3日~令和2年2月3日(予定)]などの作品を来年にかけて入替展示しています。
 この4人の陶芸家に共通するキーワードは「民藝」です。「民藝」という言葉は新しい美の概念で、思想家・美学者の柳宗悦(やなぎむねよし,1889-1961)が唱えました。柳は民衆の日々の生活の中で使われる工芸品の中にこれまで誰も目にとめなかった美を見出し、それを「民藝」と名付けました。柳と本連載に登場する4人の陶芸家は互いに共通の友人同士でした。彼らの出会いにより「民藝」が生まれ、彼らの生涯にわたる交流によって「民藝運動」が展開していきました。
 本ブログコーナーでは、4人の陶芸家たちを紹介していきます。


◇       ◇


連載1:バーナード・リーチ①日本渡航以前  
 バーナード・リーチは民藝運動の中心人物として活躍した柳宗悦や、民藝運動に関わった富本憲吉、河井寛次郎、濱田庄司らに影響を与えたイギリスの陶芸家・画家です。
 リーチは日本と深いゆかりがあります。1887年1月、香港で生まれたリーチは生後すぐに母親が死去したため、当時日本で英語教師をしていた祖父のもとに預けられ、京都及び彦根で暮らしました。幼い記憶として残っているものに、市場での鮮魚、竹樋から下がる長い氷柱、桜の花、菜の花の香り、たくわんの味、京都の寺の鐘などを挙げています。4年後には香港の父のもとに戻りますが、継母の愛に恵まれず、亡母への追憶の日々送ったと彼は語っています。1897年10歳の時にイギリス本土で教育を受けるために帰国します。

 幼少期から絵を描くことを好んだリーチは16歳の時、ロンドンのスレード美術学校に入学します。芸術家の道を望んでいたリーチでしたが、裁判所判事の父親が病に倒れ、息子の将来を案じた父親に学校を退学させられます。その後、父親との約束で銀行員を目指し、ロンドンの香港上海銀行に勤めます。        
 リーチは銀行員時代に日本に関心を寄せるようになったようです。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の著作に親しみ、J・A・Mc・ホイッスラーのジャポニスムの作品模写を行っていま した。        

 芸術家になる道を諦めきれなかったリーチは約一年で銀行を辞職し、1907年ロンドン美術学校に通います。在学中、ロンドンに留学していた高村光太郎(1883-1956)と出会い、互いの下宿を行き来する仲となります。リーチは高村から聞く日本の話の中で特に禅について興味を持ったといいます。高村を通じて他の日本人芸術家達とも知り合い交流します。リーチはロンドンの美術学校に入学して以来、東洋の美術とその背後の生活を理解するために日本行きを考えていたと著書の中で回想しています。その思いは高村をはじめとした若き日本人芸術家たちとの交友のなかで徐々に強まっていったと考えられます。

 ロンドン美術学校ではエッチングを学びます。線描を得意としていたリーチは恩師からも技術的な高さを認められていました。リーチと恩師とのあいだに次のようなエピソードが残っています。ある日リーチは恩師から「君はどのくらい美術学校にいるのか」と訊ねられました。リーチは最初のスレード美術学校を含めて2年と答えました。すると「十分だ。学校をやめて自然に行きなさい」との言葉が返ってきました。

 恩師の言葉通り1908年に学校をやめたリーチは海外を旅します。南仏やイタリアのローマ、フィレンツェ、パドヴァ、ヴェニス、ミラノなどをめぐったあと、パリに滞在します。イタリアではローマ以来続く美術品や自然を見てまわり、フランスでは印象派やバルビゾン派の作品を研究しました。特にセザンヌには強い関心をもったようです。
 パリでは高村光太郎と再会します。旅で見たイタリア、フランスの芸術や日本の美術について話がのぼります。この時の二人の会話の中で日本渡航を決意したと高村はリーチとの思い出を綴ったエッセイに書いています。  
 1909年3月、ドイツ船の三等客室に乗り込み、日本に向けて出発します。その時リーチは22歳でした。


《主要参考文献》
バーナード・リーチ『東と西を超えて 自伝的回想』福田陸太郎訳日本経済新聞社,1982年
鈴木禎宏『バーナード・リーチの生涯と芸術――「東と西の結婚」のヴィジョン』ミネルヴァ書房、2006年
水尾比呂志『現代の陶匠』芸艸堂, 1979年
高村光太郎「日本の藝術を慕う英國青年」「バーナード リーチ君に就いて」「二十六年前」,『高村光太郎全集 第七巻』所収,筑摩書房,1995年

つづきはこちら↓
連載「民藝」をめぐる4人の陶芸家たち~バーナード・リーチ②
連載2:バーナード・リーチ②日本時代―陶芸と仲間たちとの出会い


【投稿:スタッフM.K】



バーナード・リーチ「鉄釉砂糖壺」1953年制作 枚方市所蔵
※枚方市生涯学習課掲載許可済み