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トップページ展覧会 > 生誕130年 矢野橋村と弟子展


開催日 2/24(振・月)~3/8(日)
会 場 御殿山生涯学習美術センター 1階
内 容 2020年は矢野橋村(1890-1965)の生誕130年にあたります。
今年の所蔵品展は1年間を通じて、矢野橋村の作品を様々な角度から展示しています。今月は橋村と彼の弟子3人との共演です。センターが所蔵する直原玉青、清水要樹の作品に加え、個人の方から特別にお借りした大野牧牛(本名:博)の作品も展示いたします。牧牛は普段見ることのできない貴重な作品です。1人でも多くの方々にご覧いただき、南画家・橋村と彼の弟子たちの画業を振り返る機会となることを願っています。


橋村物語②

矢野橋村は1913年(大正2)、第7回文展(文部省美術展覧会)に出品した「湖山清暁」が初入選し、褒賞を受けます。その年を皮切りに1915(大正4)年の第9回文展まで三年連続で入選を重ね、再興日本美術院展覧会院展院友にも推挙されます。画家として名を上げた橋村は、仲間たちと芸術振興のために社会的な活動を開始します。

1919年(大正8)、後に大阪美術学校教授となる日本画家・福岡(ふくおか)青嵐(せいらん)、昭和初期に小説家として大成する美術雑誌記者・直木三十五(本名:植村宗一)らと共に大阪における文化の抜本的改革を目ざす研究団体・主潮社を結成します。主潮社は、雑誌「主潮」の発行と、美術展と文芸講演会を両輪とする主潮社展の開催などを主な活動内容としていました。

橋村は芸術家仲間たちとの活動と並行して、南画家として画壇での地位も確実なものとしていきます。1921年(大正10)には日本南画院創設に関わり、翌年に同人、評議員となります。1923年(大正12)には大阪市美術協会の創立委員として活躍し、同協会の幹事となっています。

こうして橋村は画家として社会に認められ、意気軒高として創作に励んでいた時期の1924年(大正13)、大阪の天王寺悲田院町に大阪美術学校を設立することになるのです。
会場配布資料 矢野橋村と弟子展
直原玉青・清水要樹・大野牧牛

(PDFファイル・A3両面2つ折り)
お問い合わせ

050-7102-3135

開館時間:午前9時~午後9時まで(日曜、祝日は午後5時まで)
休館日:毎月第4月曜日(祝日の場合は開館)、年末年始。